筋トレというと、
多くの人は「身体を強くする行為」だと思っているはずです。

重いものを持ち上げる。
回数をこなす。
筋肉をつける。

もちろん、それは間違っていません。
私自身、長年トレーニングを続けてきましたし、
身体が変わることの喜びも、強さが増す感覚も、よく知っています。

けれど、続けるほどに、
ある違和感が生まれるようになりました。

身体は強くなったいるのに、何かが嚙み合わない。


身体は確実に鍛えられている。
それなのに、
 ・ケガが増える
 ・集中力が続かない
 ・モチベーションが上がらない
 ・なぜか満たされない

そんな時期がありました。

「やり方が悪いのか?」
「意志が弱いのか?」

そう考えて、
さらに追い込もうとしたともあります。

でも、どうやら問題は
筋肉そのものではなかった。

筋トレは、心の”使い方”をも問う

トレーニングを続ける中で、
少しずつ気づいてきたことがあります。

筋トレは、
身体だけで完結する行為ではない。
 ・どこに意識を向けているか
 ・力を入れすぎていないか
 ・休むべきところで休めているか

そうした「心の使い方」が、
そのまま結果に現れている。

身体を鍛えているつもりで、
実は心の癖まで一緒に鍛えてしまっている。

そんな感覚でした。

途中にいる、という感覚

これは完成した答えでがありません。
たぶん、今も私は途中にいます。

それでも、この地点から見える景色は、
昔とははっきち違います。

筋トレは、
単なるふぃじかつの訓練ではなく、
 ・自分の状態に気づくこと
 ・無理をしている自分を察すること
 ・余計な力を手放すこと

そうした「整え」の連続でもある。

そう思うようになりました。

このブログで伝えていきたいこと

このブログでは、
筋トレを”根性論”としてではなく、

身体と心の両方を育てる技法
として捉えていきます。

派手なノウハウや、
誰かを煽るような話はしません。

けれど、
続けるほどに深く効いてくる視点を、
一つずつ、丁寧に共有していきたいと思っています。


筋トレは、人生を鍛える行為になりうる。
私は、そう信じています。